備忘録3
2014年春 青春18切符 4回目5回目
3月22日
5:03池袋着
5:10池袋発
5:38品川着
5:55品川発
8:05沼津着
8:08沼津発
10:16浜松着
10:20浜松発
12:32大垣着
12:42大垣発
13:17米原着
14:13京都着
16:44京都発
17:12大阪着
17:19大阪発
17:56王寺着
18:19王寺発
18:35奈良着
19:00頃新大宮着(歩いて)
3月23日
5:22奈良発
6:24京都着
6:33京都発
7:25貴生川着
8:03貴生川発
8:21柘植着
8:33柘植発
8:57亀山着
9:24亀山発
10:31名古屋着
10:47名古屋発
12:15浜松着
12:29浜松発
13:14島田着
13:25島田発
14:49沼津着
18:18橋本着
18:22橋本発
18:33八王子着
18:35八王子発
19:11吉祥寺着(バスにて帰宅)
研修の効用?
研修後同期と飲みに行った。
本社組は仕事に戻ったが。。
流石はグループ会社、支店、出向メンバーの直帰予定であるがゆえになせるわざ。
といっても、各1名なので、計3名である。
「同期は大切にしなあかんで」といわれてきた。
僕は今でも違和感を感じる。
「大切にする」ってのはなんだろうか?
(自社で言われる場合には)多くの場合、「同期と「仲良く」しましょう」を意味する。
おそらく、僕の違和感の原因はここにある。
僕は、同期は友達である前に、1ビジネスパートナーである、と思っている。
(「同期とは仲良くするもんだ」という価値観を押し付けられたくないという、自分中心的な幼稚な考え方から抜け出せていない、とも思う。)
久々に会った同期は、自分の目標達成のために、「僕を活用したい」というスタンスだった。
このスタンスが爽快だった。
無論、僕も彼を活用すると可能性が広がるな!と感じた。
本社色に染まっていない人たちだからか笑。
僕が上記のようなスタンスゆえに、それに合わせてくれたのか。
定かではない。
とまれ、久々に感じた「何かできるんではないか」というワクワク感。
本当に久々の感覚だった。
逆にいうと、仕事に対して消極的になっていた期間も多くあった。。。
その点を痛切に後悔できたことが一番の収穫だった。
キャリアビジョンを描く本日の(昨日の)研修よりも、よほど気づきの多い場であった笑。
研修本来の目的が達成されないカリキュラムであったのは残念だが笑。。
余談
自社の商材に対する圧倒的な自信。
「自信ないもん売っとん??」と言われたが。。。
他のビジネスパーソンは、この点にどう向き合っているのか。
特に、形のない商材の場合。
『街場の五輪論』読了
手書き日記をやめました。
一旦保留ということで。
でも手書きでアイデアが纏めることは重要と思うので、臨機応変な対応をしようと思う。
(堤研二先生の「人間がちゃんと考えられるのは手書きのスピードでや」というのに深く同意致す)
『街場の五輪論』(内田・小田嶋・平川 2014)読了。
内田氏のブログを見て購入。
【紹介文】
東京五輪の招致がさっぱりうれしくない三人のおじさんたちが「だいたい 64 年の東京五輪からしてろくなものじゃなかったよ」という昔話から始めて、五輪というイベントの「いかがわしさ」について語ります。五輪めざして練習しているアスリートのみなさんには申し訳ないけど、このイベントいくらなんでも「政治」と「金」の匂いがきつすぎますよ。
各論は置いておくとして、平川氏のエピローグ〜何故わたしたちは、国民的祝祭に異を唱えるのか〜に共感と懐かしさを感じた。
(20代半ばで、おじ様の文章を読んで懐かしいとはいかなる了見か?と言われるかもしれないが。。。
平川氏を「おじ様」扱いしたことについても一言あるかもしれない。。。)
共感した部分を引用する。
「もうじき、建設のラッシュが始まり、いやがおうでもオリンピックに向けての熱狂の空気が支配的になるだろう。しかし、わたしたちはこの種の熱狂が、必ずしも私たちに幸福な未来を約束してこなかった歴史に学びたいと思う。そして、このあまりに圧倒的な祝祭気分に、あえて水を差しておきたいと思う。
わたしたちが、何と言おうが2020年東京オリンピック招致は決定した。
よほどのことがない限り、オリンピックは実施されることになる。
お前たちのやっていることは、負け犬の遠吠えであり、無駄骨だと言われるかもしれない。
それでも、遠吠えする意義はある。
このような圧倒的なオリンピック翼賛の空気の中でも、反対する意見はあったのだということ、すくなくとも、この頃までは、まだこういう意見を自由に発表できたのだということだけは、記録に残せる。」(前掲書183〜184頁)
共感したのは、修士論文執筆およびその調査の際に似たようなことを考えていたからである。
(修士論文と言っては指導教官の先生方に「あんなのは論文ではない」と言われるかもしれないが笑)
経済的にペイしないがゆえに、事業存続を放棄する。ビジネスとしては合理的だが、今後の日本を考える上では、「ちょっと待って!」と申したい。そんな気分であった(無論今もそうである)。
更に言えば、このアイデアには元ネタがある。
(小水力発電をテーマとした背景には、「資源管理」「資源論」への興味があった。その際に、師匠とさせていただいたのが佐藤仁氏である。(彼も直接お会いしたことはないのだが。。。))
『「持たざる国」の資源論ー持続可能な国土をめぐるもう一つの知ー』(佐藤 2011)で、ポランニーを引用されていた。(詳細の頁数を失念)
「ある潮流が最終的に勝利したからといって、なぜそれをその潮流の進行速度を緩やかにしようとした努力が無駄であったことの証拠と考えなければならないのか。
また、なぜ、そうした措置の狙いが、まさしくその措置が達成したこと、すなわち、変化の進行速度を減速させることにあったと判断しないのか。
一連の発展を阻止するという点においては、必ずしも有効でないにしても、そうした措置が、まったく効果がないということにはならない。変化の速度は、しばしば、変化の方向それ自体に勝るとも劣らず重要なのだ」
手書き日記をやめたことと何が関係あるのだろう?と訝しんでいらっしゃる読者もおられるだろう。読者はいるのか??笑
空気を読まない発言でも、ブームに水を差す発言でも、自己完結では影響力を行使しえない。
発信してこそ、誰かが「そうかもね」「馬鹿野郎!」と思う。
その賛否は重要ではない(ことはないが、第一の優先事項ではない)。
立ち止まって考えてみる、その機会の提供こそが狙いだからである。
立ち止まって考えることすら許容されない、「スピード感ある」ビジネスの現場で、どれくらいの人が立ち止まってくれるのだろうか。
かくいう僕も会社勤めをしているわけだが。。。
やはり「ビジネス」は相に合わないのだろうか。
春の陽気を感じると、殊更に自分のあり方を顧みる機会が多くなる。
そんな中で徒然に書いた。
@長岡京駅前モス
師匠とのコミュニケーション
face to faceのみがコミュニケーションのあり方ではない。
「当たり前だ(のクラッカー)」と仰る方も多かろう。
電話、メール、Facebookをはじめ色んなツールもあるし。
しかし、書物を通じたコミュニケーションも存在する。
この知見を私は内田樹氏(の本)から得た。
他者に伝えたいことがあるが故に文章を書く。すなわち多くの文章は読み手を想定している。
(ゆえに書物は本来的にコミュニカティブであろう。)
読み手側からみれば、眼前の文章がいつ、いかなる言語で書かれていたとしても、著者の考えを(好意的に、批判的に)理解しようとする時点でコミュニケーションは成立するのではないか。
そのような考えに得心した自分には幸いなことに、多くの師匠がいる。未だお会いしたことのない、あるいはもうお会いすることができない(私が一方的に師匠と思っている)方が殆どであるが笑
因みに筆頭の師匠は内田樹氏であるが、氏は大瀧詠一氏を師匠とされ、ナイアガラーである。内田樹氏を師匠と考える人々を何と称すればいいのか。知っている(あるいは自らを◯◯と呼んでいる)方がいればご一報いただきたい。
説明すること
ルールの説明をすることは文面の解説では意味がない。(わけではないが、「じゃ、この場合は?」「こんな時には?」と際限がない。)
重箱の隅のつつき合いを助長することになるから。
更に言えば、セルフジャッジの助長にもつながるだろう。
選手にとって重要なことは、勝つためにプレーに集中することである。
すなわち、グレーゾーンのつつき合いにエネルギーを選手に使わせるのは(戦略も無論重要だが)本来ではない。
とするならば、ルールの解説も「選手は〜〜に考えてプレーした方がいいで!なぜなら〜〜な方がメリットがあるから」とした方が納得感が高くなりうる。
選手目線に立てるか?
高飛車と思われてしまうか否か?
選手との信頼関係はこういうところから醸成される。
ということを学んだ誕生日前日。